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■お疲れさまぁ
2011年12月29日(木)───この一年、いつにもまして大きなできごとが続きました。東日本大震災とその復旧復興支援活動、常延先生の追悼演武会、3度目の八重山訪問、常延先生一周忌のお墓まいりと求道館・千武館・県立武道館での稽古、無事に2度目が行なわれた西日本大会…。また、ブログに書きませんでしたが、私たちが稽古場に使わせてもらっている東神戸薬局の薬剤師・喜田結さんが、4月のいっせい地方選挙で県会議員にみごと当選(東灘選出/3人区) 東神戸は今日が稽古おさめでした。8時には稽古をきりあげて、「ほんと今年はとくにがんばったなぁ」の思いをこめ、みんなの奮闘を讃えあって、乾杯 みなさん、お疲れさまでした

■みんな合格
2011年11月26日(土)───今日は東神戸の昇段昇級審査会。みんな、かなり緊張の面持ちでしたが、ふだんの稽古の成果をいかんなく発揮して、めでたく全員、審査に合格しました\(^O^)/ 入門まもない中前ファミリーが級を取得、北出ファミリーはそれぞれ昇級、藤本さんが二段、郡司は三段となりました(小河さん二段予備審査)。空手は生涯武道です。つぎに挑戦すべき課題を意識して、コツコツと、でも確実に鍛練を重ねていきましょう!

■収穫祭
2011年11月6日(日)───このところ毎年、収穫祭は雨模様です。恵みの雨というわけでしょうか…。でも、雨にも負けず、元気にたくさん演武しました─→アーナンクー、セーサン、ワンシュー、パッサイ、クーサンクー、徳嶺の棍、ヌンチャク基本技、ヌンチャクの型、津堅志多伯の釵、北谷屋良の釵、津堅の棍。そして最後に子どもたちによる試割です。プラスチック製の試割用瓦「かわらん」3連発(下の写真)が大きな喝采をあびました!
☆このほかの写真も「フォト蔵」にアップしてあり、12月6日まで自由に閲覧できるように設定しましたので、ご利用ください(こちらのページへ)。



■健康まつり
2011年10月2日(金)───今年の「健康まつり」は、歌に踊りに、もりだくさんのステージのなか、11時から私たち空手同好会も時間をもらって、活動紹介をおこないました。大槻さんがナレーターをつとめ、全員で基本練習のパターンを少し紹介したあと、普及型Tを演武。そして空手の型2つを同時演武(上野:クーサンクー/小島:セーサン)、古武道の型3つを同時に演武しました(中野:北谷屋良の釵/郡司:徳嶺ぬ棍/藤本:ヌンチャクの型)。気温も25度を下回り、カラッとした秋晴れの気持ちよい青空のもと、みんな午後は運動会でもがんばりましたよ v(^^)v

■第2回西日本大会
2011年9月23日(祝・金)〜24日(土)───第2回目の西日本大会(合同練習+型競技)をおこないました。今年は学校行事などと日程が重なった人が多かったようで、参加者が少なかったのですが、京都(8人)・兵庫(8人)・岡山(1人)の子どもたちが、力いっぱい日ごろの稽古の成果を披露しました。大人もふくめた参加者は京都13人・兵庫17人・岡山4人+引率の保護者や見学者など十数人でした。次回は、来年(2012年)11月23日(祝・金)〜24日(土)、もう少し西のほうに会場を移して開催する予定です。また1年間、稽古を重ね、パワーアップして会いましょう\(^o^)/
※ 競技結果や写真集へのリンクを 会員専用のページ(ブログ) に掲載しています。


■一周忌
2011年9月7日(水)───9月7日は常延先生の一周忌。「お墓参りだけでもしてこよう」と思い、事務局長G、4日(日)から沖縄に行ってきました。親川仁志先生が土曜日に広い庭をぜんぶ草刈りしてくれたそうで、久しぶりに訪れた求道館は、とてもきれいでした(写真左)。命日の7日(水)、那覇を中心にスコールのような豪雨だったのですが、求道館のある知念あたりは、ときおり陽もさす穏やかな天気でした(写真中/常延先生のお墓の前にひろがる風景)。滞在中、稽古の機会もつくっていただきました。連日つきあってくださった仁志先生をはじめ、千吉先生、仙永さんから指導を受けることができました。必ずや身につくまでコツコツ鍛練することで、先生方のご恩に応えたいと思います。その成果をもって、また沖縄に来ます!

ところで、9月25日(日)、昨年に続いて「喜屋武朝徳を偲ぶ会」のシンポジウムと空手演武会が開かれ、比謝橋のたもとにあった朝徳師の家を復元するプロジェクトもスタートするそうです(写真右)。誰か参加して、レポートしてくれないかなぁ…。

■あと1ヶ月
2011年8月21日(日)───ここ数日、少しずつ気温が下がってきて、「あ〜夏休みが終わるぅ…」という気配がただよいはじめました。でも、西日本大会まで、あと1ヶ月あまり。谷上の稽古は、少しずつ熱気上昇中です。今日は少人数で順番に型を演武。ほかのみんなが見ている前で演武するので、本番さながらの緊張感だったでしょう。みんなそれぞれの課題達成にむかって、がんばろう!

■プール!
2011年7月17日(日)───ことしも35℃以上の猛暑日が続く近畿地方…。夏の甲子園の県予選では、熱中症続出で選手が足りなくなり、試合が続けられない事態まであったとか。神戸は関東平野内陸部「熱いぞ熊谷」よりはましですが、それでも熱い…。 こんな夏はプール! というわけで、今日は、暑い体育館での谷上空手教室が終わったあと、午後からプールで鍛練しました。午前中の空手教室とはうってかわって(f^^;)、大人も子どもも元気百倍で、この笑顔 v(^O^)v

■記録会
2011年7月9日(土)───近畿は昨日、史上3番目に早いという梅雨明け宣言でした。いきなり襲ってきた猛暑・陽射しに、まだ身体が慣れていないというのに、今日は「記録会」。基本練習(定置鍛練)から、各人ができる型までの演武を記録して、「達人への軌跡2011年版」DVDをつくり、成長(老化?)の自己点検をします。入門1ヶ月の中前ファミリーも、力いっぱい基本練習をして、しっかり第一歩を記録しました!!

■トントンミー♪
2011年6月29日(水)───事務局長G、喜屋武朝徳師の足跡をたどる八重山の旅から帰ってきました。昨年5月につづいて、地元の寄川さんに教えてもらったり、図書館にこもって調べものをしたりしながら「足跡」を確かめ、たどっていく作業です。ちょっと前進がありましたよ! また島の自然や文化にもふれて、今回もたっぷり石垣島を楽しんできました。いずれ「足跡」を整理して報告します。請うご期待!

【写真左】宮良川河口のマングローブ(ヒルギの群生)では、おおぜいのトントンミーがぴょんぴょん飛び出して出迎えてくれました。そのようすが可愛くて、ず〜っと見ていても飽きません。この写真のなかに何匹いるかわかりますか? 写真を「原寸表示」にして(ブラウザによって操作法が異なります)数えてみてください。 【写真中】宮良湾を見おろす崖の上に広がるフルスト原遺跡の石塁群。オヤケアカハチの居城だったと言われます。尚真王が遣わした首里王府軍との最期の激戦地でしょうか…。 【写真右】喜屋武朝徳師が演武会をひらいた「八重山館」の場所を教えてくれた通りすがりのおばぁが、道ばたに咲いているこの花を「あめふらしの花」と言っていました。どうも本名は違うらしいんですが…。


■昇級審査
2011年6月12日(日)───今日は谷上で昇級審査でした。準備体操を終わって定置鍛練がはじまると、さすがにいつもより緊張感のある表情(写真左)。順番に基本の技と指定された型を審査員の前で演武しました。みんなの演武を見て、つくづく感じたのは、コツコツと稽古を重ねる大切さです。審査員全員が「向上著しい」と認めたKさん(写真中)は、ほとんど欠席もなく、基本練習から手を抜かずに稽古しています。日々の稽古の積み重ねが、やはりこういうときに結果として表われます。ドキドキの結果発表(写真右)では、全員が昇級できました。とくに「向上著しい」と認められた2人が2階級特進。みんな、見習おうね!


■こどもの日
2011年5月5日(木・祝日)───こどもの日……そんなことにおかまいなく、東神戸は今日も定例稽古でした。参加者が2人だけだったので、久しぶりにビデオカメラで録画しながら、しっかり型を練りました。カメラを止めず、交互に思いっきり演武を繰り返したので、2時間もしたらすっかりバテバテ。「これだけ汗をかいたのだから、さぞ素晴らしい演武だったに違いない」と、ビデオを再生してみて愕然としました……。事務局長G、いろんなことを反省し、いろんなことを決意した1日でした(その内容は秘密です)。

■運動会
2011年4月29日(金・休日)───恒例の谷上ゆうゆうクラブ運動会。前日まで突風や雷雨・あられにみまわれる荒天が続きましたが、この日は穏やかな「五月晴れ」になりました。地域ごとの対抗戦なので、地元の声援をうけて、子どもも大人も必死で得点を競います。空手部は今年も演武を披露。なおちゃんが釵やヌンチャクを覚えたので、古武道の型も多めにやってみました。演武種目は──普及型T(写真下左)・普及型U・アーナンクー・セーサン・ナイファンチ・ワンシュー・津堅の棍・津堅志多伯の釵(写真下中)・久場川のヌンチャク・徳嶺の棍。


■放射能汚染…
2011年4月3日(日)───ニュースを見てると、福島第一原発からの放射能汚染がひろがっているようで、ほんとに心配です。いくら身体を鍛えても、放射線には勝てません…。高濃度の汚染水が、直接、海に流出していることがわかった問題で、東電は今日午後、おがくずや新聞紙を投入して流出を止めようとしたけれども失敗したとのこと。科学の粋をあつめ、絶対安全と言ってきたのに、おがくずや新聞紙を丸めて放り込むぐらいのことしかできないんでしょうか…。いまは責任論よりも、この事態を収束させることに全力を尽くしてほしいのですが、いずれ甚大な被害の補償問題が焦点になります。そのとき、問題があると知りつつ原子炉を売り続けたメーカーの歴代幹部、「過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波」がきても安全だと言い続けてきた電力会社の歴代幹部(なんと今現在も http://www.tepco.co.jp 内にこの主張が掲載されてる)、原発老朽化・大地震・津波による危険性、まさに今回のような事態となる危険性が、具体的に、なんども国会で指摘されてきたのに、安全だと言い続けてきた学者先生たちや歴代政府の閣僚たち──まず最初に、こうした確信犯の人たちの資産を没収して被害補償にあてるところから災害復興をはじめてほしい。また神戸からの直線距離が90kmちょっとしかない高浜原発は、「想定される津波に対して十分余裕のある高さの敷地に建設」と宣伝していますが、なんと想定しているその津波とは、たった74センチメートル…。冗談はやめてほしい、こんな原発すぐ止めてください! そのうえで、経済効率最優先の社会、「24時間オール電化」な生活が本当に必要なのか、みんなでライフスタイルを見直すときではないかと思うのですが、どうでしょう?

■東日本大震災
2011年3月21日(月)───追悼演武会のまとめをする事務局会議が予定されていた11日(金)、午後2時46分ごろに東日本大地震が発生し、東北・関東の太平洋側を中心に未曾有の被害をもたらしました。被災されたみなさん、心からお見舞い申し上げます。岩手の宮脇善雄会長をはじめ、東北地方の仲間が心配でしたが、18日になって「全員無事、宮脇会長は被災者支援に奔走している」との連絡がはいり、ひとまず安心。20日(日)の新聞には、その奮闘ぶりが報道されていました(右から2人目が宮脇会長)。私たち東神戸同好会のメンバーでは、さっそく事務局長G、Oさん、Yさんが、それぞれの職場から災害支援のために派遣され、1週間ほど活動して後続部隊と交代し、昨夜遅くに帰宅しました(Yさんは本日帰宅)。事務局長G、「あいつはろくに仕事をしないが、とりあえず頑丈だ」という理由で、運転手&肉体労働者として派遣されることになったとか。少人数の同好会から3人も行ってしまったので、この1週間ほど、連絡態勢や稽古が手薄でした。留守中、ご迷惑をかけたかもしれない皆さん、すみません…<m(_ _)m>

東神戸病院の第二次派遣チーム5人の一員となった郡司・大槻は、陸路910kmほどを疾走し、仙台市太白区の長町病院([財]宮城厚生協会/民医連)に到着、ここに寝泊まりしながら活動しました。写真左:長町病院向かいのクリニック5F部分。写真中:仙台市若林区の若林クリニック前から地域の避難所支援に3隊が出動するところ。一時、「若林クリニックは津波で完全に流失」という情報があったが、水はクリニックのわずか手前でとまり、引いていったという。写真右:塩竃市の坂総合病院に行く途中、多賀城市内・国道45号線。すでに重機が入り、道路部分は車が通れるようになっていたが、周囲の建物には車や船や瓦礫がめりこみ、あたり一面、産廃処分場のよう。映像で見るのとはぜんぜん違う。その場に立ち、写真機よりもはるかに広い視角をもつ肉眼で見ると、破壊された面の絶望的な広がりに言葉を失う……。
《お願い》 私たちの訪れたなかに、ある日の配給が、朝食バナナ1本・夕食みかん1個という避難所、朝食は柿ピーの小袋1つ・夕食はオレンジ半分という避難所がありました。その避難所で、兵庫県から派遣された保健師さんが活動していて、「こんな状況なのにみんな黙って耐えている。ここの人たちは我慢強い。阪神大震災のときの避難所は、もう文句やら何やらで大変だった」と。長町病院職員のみなさんをはじめ、地元の人たちも、自ら被災者なのに、黙々と、淡々と、被災者救援に献身されていて、ほんとうに頭が下がりました。支援物資は徐々に集まりつつありますが、燃料不足が物流の障害となっていて、それを必要とする人びとのところには、まだまだ届いていません。全国的な義援金にとりくみつつ、同時に、被災した少林寺流道友に東神戸としてお見舞をとりまとめ、県本部をとおして届けたいと思います。ぜひ、ご協力ください!


■追悼演武会
2011年3月6日(日)───仲里常延先生を偲ぶ追悼式と演武会が東京都多摩市の多摩中学校体育館でひらかれました。沖縄での葬儀に参列できなかった本土の仲間のために、首都圏の道友が企画してくれたものです。首都圏を中心に道場生だけで約130人(子どもたちの家族をふくめると約170人)が集まりました。兵庫からは6人(上野・中野・渡部・南・郡司・藤本)が参加して追悼の演武をおこない、各人の修行の到達点を常延先生に見ていただきました。東京は土曜日も月曜日(大雪!)も寒い日だったのに、この日曜日だけは陽射しも暖かくポカポカとした陽気だったのは、常延先生の慈愛がなせる技でしょうか…。あらためて生涯の精進を常延先生の遺影に誓った一日でした。

■祝!5万アクセス
2011年2月20日(日)───ふと気がついたら、アクセスカウンタが5万に達していました。コンスタントに1日平均30ぐらいのアクセスがあります。東神戸のウェブサイトをこまめにチェックしてくださる皆さんの(検索エンジンの巡回ロボットさんも含め)暖かい応援に感謝です。自宅稽古の量は、多い日も、ほんのちょっとだけの日もありますが、朝徳師や常延先生の遺訓を守り、とにかく毎日、何かしら稽古をしていますので、平均30アクセスのペースが変わらないとして、22年後、50万アクセスに到達するころ、事務局長Gは“万練”の域に到達します…計算の上では。こんな皮算用をしながら、気長に“達人”への道を夢見ています…f^^;

■道場旗
2011年1月22日(土)───いつもしまいっぱなしの道場旗…。「せっかくつくったのに、このままでは日の目をみないまま、カビだらけになってしまうぅ…たまにはひっぱりだしてあげよう」と思って、今日は道場旗といっしょに稽古しました。今度はいつひっぱりだすかわからないので(f^^;)、新しく山田さんも参加することになった土曜教室の稽古風景を記念に1枚。

■カムバック
2011年1月15日(土)───東神戸では、木曜稽古1月6日(木)、土曜教室8日(土)、それぞれ元気よく新年の稽古はじめ。でも、ちょっとはりきりすぎたリバウンドか、今日の土曜教室は、みなさん風邪でお休みでした。事務局長G、一人でのんびり稽古をしていたら、ひょっこり山田さんが現われました。ずっと北支部の稽古に参加してたんですが、勤務の都合で3年近く稽古に参加できませんでした。少し出世して(?)、自分で時間を調整することができるようになったらしく、これから土曜日にときどき顔を見せてくれそうです。よろしくね v(^o^)v

■寒中お見舞い
2011年1月1日(土)───寒中お見舞い申し上げます。ここ数日も雪が舞い、厳しい寒さが続いていますが、皆さまいかがお過ごしですか。
仲里常延先生がお亡くなりになって、早3ヶ月あまりが過ぎました。2010年は私たち門下生にとって、大変な悲しみとともに記憶される年となりました。「急いで上達しようと思って無理したらいかんよ。毎日毎日の稽古を続けなさい」と、常延先生から温かな激励とご指導をいただいたことを思いだします。世の中はお正月でも日々鍛練──それが常延先生のご遺志を受け継ぐ道です。先生のお言葉をかみしめながら、いっそう稽古にはげみましょう。どうぞ今年も、よろしくお願いいたします。



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